My boom

心温まる映画を紹介します。「ウーマン オン トップ」(2000年アメリカ映画)、ペネロペ・クルス主演のラブコメディーです。
ブラジルのとある漁師町で恋に落ちて結婚した若い夫婦の妻役が彼女です。
彼女は料理上手で、二人で始めたレストランは彼女のお陰で大繁盛。
何もかも順調だと思ったら夫が軽はずみに浮気をして、それを目撃した彼女は怒りのあまり家出してサンフランシスコへ逃避してしまいます。
そして二度と仲直りしないように海の女神に願掛けして新しい生活を始めるのですが、ひょんなことから料理の才能と美貌を買われてテレビの料理番組に抜擢されて、一躍有名人になるのです。
さて二人の行く末は?気になりませんか。

ペネロペ・クルスの気取らないコケティシュな魅力が全開なのですが、さらに全編にボサノバの歌が流れて、それがなんともハートフルなんです。


今回紹介する映画はわたしにお似合い?の「ウディ・アレンのタロットカード殺人事件」(2006年アメリカ映画)です。
現場に必ず死神のタロットカードを残す、娼婦連続殺人事件の真犯人を追い詰めるストーリーです。
キャストはジャーナリスト志望の学生で探偵役にスカーレット・ヨハンソン、彼女を助ける中年の手品師にウディ・アレン、そして富豪の息子の容疑者にヒュー・ジャックマン、なんと豪華な顔ぶれではありませんか!
とにかくアレンの演出とセリフの軽妙さを楽しんでください。

そして私のタロット占いも、ちょっと思い出して下さいネ



このようなイラストです。


年の初めに紹介する本は、「湘南 最後の夢の土地」(北山耕平・長野真編 冬樹社 1983年刊 207頁)です。
湘南と呼ばれる地域のガイドブックなのですが、一風変わっています。湘南の自然から歴史、風俗、湘南に住む人々へのインタビューなど、イラストと写真でテンコ盛りに紹介しています。ただ飲食店の紹介は一切ありません。昨今のガイドブックとはスタンスが全く違っていて、極めて斬新で好感度100%です。湘南をこよなく愛する人達によって作られた本だということが、つくづく伝わる逸品と言えるでしょう。中でも私のお気に入りは、広田正のイラスト(江ノ電のイラストなど)で、湘南のハッピーな雰囲気にピッタリはまっていると思います。この本は既に絶版になっていますが、30年の月日が経って今新たに作るとしたら、どんな本になるのでしょうか?


浮世の憂さを晴らすには、コメディ映画が一番です。この「グレートレース」(1965年アメリカ映画)は、ハリウッド映画全盛時代の王道を行く傑作です。
個性的な名優が揃っていますが、特に悪役コンビのジャック・レモン、ピーター・フォークが傑出です。
物語は20世紀初頭のニューヨーク・パリ間の自動車レースで、抜きつ抜かれつのドタバタコメディ。
随所に洒落たネタが散りばめられていて、飽きさせません。
昨今のつまらないお笑いコントに飽き飽きしている人は、ぜひこの映画で本当のユーモアの心を取り戻してください。





ミュージカル映画の紹介です。「プラハ」(2001年チェコ映画)。女子学生達のロストバージンが主題のラブコメディーです。
舞台設定は1968年で、チェコスロバキアが「プラハの春」と呼ばれる束の間の自由を得た時代で、その後すぐにソ連が軍事介入する「プラハ事件」が起きて弾圧されるという悲劇の時代でもあります。
それでもレトロでありながら、現代に通じるポップな感覚が全編に散りばめられていて、心をワクワクさせる楽しい作品です。
この映画を観て、「自由」とはカラフルな色に彩られた世界だと、今一度思い起こされました。
平和な世界が限りなく広がるように、もっともっと色を使いましょう!




今回紹介する映画は、アルゼンチン映画の「ボンボン」です。不運にも突然ガソリンスタンドを解雇されたお父さんは、肩身の狭い思いをしながら娘夫婦の家に身を寄せますが、そこも生活が苦しく、次の行き先を探さなければなりません。そんな折親切にした人からお礼に犬を貰い受けます。生活が苦しい中、なぜ犬を飼わなければならないのかと思うのですが、実はこの犬(ボンボン)は血統が良く、繁殖でお金儲けができる事が分かります。そこから運が好転するというお話です。
淡々としたストーリーで劇的な展開はありません。でも全編にアルゼンチンの風が感じられ、見終わった後もその心地良い余韻がいつまでも続くような映画です。
主人公のお父さんは素人の俳優で、ボンボンも素人の犬のようです。二人ともイイ顔付きで、本当に味わいのある演技をします。
このせせこましい日本で人間関係に疲れている方、ぜひ御覧下さい。

最後に一言「どんな時でも不運を不運と思わず、人には親切にしましょう。幸運はそうした人に転がり込んできます」。



今回紹介する映画は、皆さんご存知の「男はつらいよ、シリーズ」から「第29作、寅次郎あじさいの恋」です。

今回の筋書きは異色で、寅さんがマドンナ(いしだ・あゆみ)から求愛されて、たじたじになるというもので、いつもの寅さんの恋の道化師の姿は微塵もなく、それ故にシリーズの中でも最も文学的で、渥美清の抑えた演技が光る秀作と言われています。

また舞台が鎌倉、江の島、京都、丹後と味わい深い雰囲気を醸し出しています。特に私にとって鎌倉と江の島は馴染みの場所で、主人公がより身近に感じられます。

内容は見てのお楽しみということで、一言添えるとすると「他人からすれば滑稽に見えても、恋は真剣なドラマ」。

なお今作は「男はつらいよ、寅さんDVDマガジン」で安価に入手可能です。


蔵書の中から今回紹介する珍しい本は「日本漁船漁具図集1958」(水産庁編集)です。1958年当時の日本の淡水・海水の全ての漁業の全貌を、全面イラストで紹介しています。魚の種類や場所の違いによって多岐に渡る漁船・漁具、そして今では絶えてしまったであろう珍しい漁具に、興味は尽きません。当時日本が世界に冠たる水産国であったことを物語る絶好の書です。

本の表紙の装丁は、アールデコ風であることを申し添えます。


新コーナーです。あなたの人生にささやかな色付けをする映画、幸せの風を吹き込む映画、ふと人生を考えさせられる映画、勇気を出そうと思い立つ映画などを、個人的な趣向で選び紹介します。何かのお役に立てれば幸いです。

その一作目は「あなたのために」主演ナタリー・ポートマン

ナタリー・ポートマンは「ブラックスワン」でアカデミー賞主演女優賞受賞の女優、この映画ではシングルマザーを演じています。内容は観てのお楽しみということで。





昔懐かしいLPレコード・コレクションの中から、お気に入りのジャケットを紹介します。情景は、パジャマ姿のキュートな女性が、パリの朝の光を一杯に浴びています。遠景にエッフェル塔が見えます。幸せそうで良いと思うのですが。

「BONJOUR PARIS」
MICHEL LEGRAND

【ミッシェル・ルグラン】
フランスの作曲家、ピアニスト、映画監督、俳優
代表作「シェルブールの雨傘」




 
お酒を飲みながら、ちょっとシャレた話しを御披露。

「それはまったく単純なことです。私はいろんなことを見つけ出したい、それだけですよ」
「あなたはいろんなことを見つけるのに、とてもうまい方法をご存じなんでしょうね」
「ほんとに単純な方法てのは一つしかありません」
「それはどういう方法ですの」
「人に話させることですよ」
ジェインは笑った。「話したがらなかったら?」
「だれでも自分のことは話したがるもんです」
(大空の死、アガサ・クリスティー、名探偵ポアロの会話)
全くその通りです、脱帽。`


これは約40年前のいかにもアールデコ風のデザインの日本製の万歩計です。

歩くごとに針が歩数を刻む精巧な作りで、年月が経っても今も現役であり続ける優れものです。

散歩のお供に最適なアイテムです。








散歩といえば、みなとみらい線と直結したために反町駅の手前から地下に潜った東横線の、元の地上の軌道部分が遊歩道(東横フラワー緑道)として完全に整備され、通行が可能になりました。これで東白楽から横浜駅北口まで歩いて行けるようになり、非常に便利です。
写真は以前電車が通っていた反町駅最寄の島山トンネルで、ここから横浜駅まで810mの表示があります。電車用のトンネル内を通行できる所などそうそうないので貴重です。
またこの緑道を歩けば横浜駅の各線へのアクセスも容易なので、お得だと思います。
なおトンネルは午前6時から午後9時半まで開門されています。


早速物置のおもちゃ箱の中から発見しました。トビウオが波に向かって飛ぶ様をデザインした文鎮です。

製作年は明らかではありませんが、裏返すと「市制30周年記念」と右からの表記(古い書体)が刻印されています。

横浜市制だとすると1889年(明治22年)に試行なので、30周年は1919年(大正8年)になりますが、材質からしてレプリカかもしれません。

トビウオは重厚感のある真鋳で制作されていて、表現はオーバーですが、その躍動感に見とれてしまいます。

さらに二枚の鉄板で表現された波、豪華さを表現した台座のデザイン、これらはまさしくアールデコ装飾に他なりません。

初回のアールデコ探索は小物でしたが、いかがでしたか。次回もお楽しみに。


今回紹介するのは、「アールデコ」に関する本です。一冊は洋書で、二冊ともアールデコと呼ばれる様々な作品を、写真と共に解説しています。そのデザインになぜ心惹かれるのかという全く個人的な好奇心から、これ等の本をガイドブックにして、身近な所から作品を探索していきたいと思います。

「日本のアールデコ」の本文からアールデコの簡単な概念をおさらいします。

アールデコなる名称は1925年にパリで開催された装飾博覧会の略称であり、博覧会を機に1920年代後半から1930年代の終わり頃(アメリカでは1940年代まで)にかけて流行した一連の装飾デザイン様式を指している。

アールデコは、直線、幾何学線、円などを中心として発展したデザイン様式である。1925年、ル・コルヴュジエは「装飾がないのが今日の装飾美術である」と発言しているが、アールデコは同じ方向を指向しながらも、そこに「遊び的要素」をつけ加えて特色を出している。

アールデコの装飾様式は、多くの様式の混交によって成り立っており、一言でその特徴を述べるのは極めてむずかしい。なぜならその根底には、個の尊重と自由な主張が認められているからである。

1.遊びの美学 2.アンバランスの美学 3.異種混合の美学 4.デフォルメの美学


まだまだ分析は続くのですが、ここらで取りあえずアールデコらしき物を探してみましょう。


【キロ不思議博物館】

  


懐かしい昭和のスター達110名が大集合。これは昭和の芸能雑誌「平凡」の最終号の付録のステッカーなのです。

資料ファィルの中から出てきたので紹介しました。

まだまだ使用可能ですが、さてどこへ貼るのか迷います。またファイルへ逆戻りかな?


今回紹介する本は、すでに絶版になっていて古書店でしか手に入れられないものですが、内容の良さが群を抜くのでお勧めします。

「桃山のひとびと」吉村貞司著(思索社、昭和53年刊)
内容は以下の通りで、桃山時代の人物の評伝です。

序曲の構造ー三好長慶
もの言わぬ遣欧使節団ー遣欧少年使節団
神を凌ぐ人間の創造ー織田信長
堺町人の叛骨ー紹鴎の後継者たち
教養の叛逆ー明智光秀
生命の内なる空洞ー狩野永徳
緋色の処女ーキリシタン大名
奢りの極みの寂しさー豊臣秀吉
個性であるための悲劇ー山上宗二
詩と美と茶の正系ー千利休
低俗との抗争ー長谷川等伯
生命の確立ー池坊専好
閨房の論理ーおねの方
豪壮なる異風ー古田織部

歴史上の人物がずらりと並んでいること、そして表題もなかなか興味をそそります。
なお「日本の古書店」というオンラインショップで、600円前後で購入できます。


玄関前の鉢植えのクリスマスローズが満開です。下向きに花が咲き、控えめでけな気な様子ですが、原種の学名「ヘレポラス・ニゲル」にはギリシャ語で死ぬという意味があるそうで、有毒植物の一種です。ただ強心剤、利尿剤などの薬にもなるのでヨーロッパでは盛んに栽培されてきました。
ヨーロッパの教会や修道院の入り口でよく見かけられますが、魔よけのおまじないだそうです。「毒を以って毒を征す」ということわざを地で行くお話です。
栽培も比較的に簡単なのでお宅でもいかがですか。






2005年12月に撮影した鎌倉鶴岡八幡宮の大銀杏です。夕日が枝と枝との間に沈む瞬間の絶景を運良く捉えた瞬間、なぜか神々しい雰囲気を感じたことを今でも覚えています。先日の突風で残念ながら倒壊してしまいましたが、なんとか再生して欲しいと願い、在りし日の雄姿を紹介させていただきました。
あと不思議なことに御神木の写真のある所に柴犬の顔が浮き出ています。もしかして御神木は犬神と御縁があるのかもしれませんね?見つけられたらきっと御利益があると思うのですが、目を凝らしてご覧下さい。





今回紹介するのは、およそ50年前にイギリスで刊行された貴重な事典です。スコットランドのタータンチェックをイラスト入りで紹介したもので、ページをめくれば家系によって全て柄が異なっていることが分かります。
また各家系の歴史も簡単に説明されていて、イラストではスコットランドの伝統的な風俗を知ることができます。今話題のカーリングで遊ぶ姿も描かれています。
色の組み合わせのバリエーションは、服飾デザインを研究する人には大変興味深いと思います。


【キロ不思議博物館】

「駄洒落ポスター」

川崎のとあるホルモン焼き屋にあったポスターです。

ジョッキーがジョッキでビールを飲んでいます。

傍らの馬の視線が妙にリアルで、つい引き付けられてしまいます。

それにしても「駄洒落」の漢字、このポスターにピッタリだと思います。








【キロ不思議博物館】

今回はミクロネシア諸島で実際に使われていた調理器具です。

サンゴで作られた高さ11cm、重さ500gのすりこぎ用の器具です。

手のひらにすっぽり入って、使い心地は最高です。

現地では、タロイモやパンノキの実をすりこぐ時に使われていました。

今は出番が来るのを待ちながら、オブジェとして飾られています。


今回紹介するお気に入りのLPレコード・ジャケットは、夏本番にふさわしい一品です。

リオの海岸で背伸びする水着女性の姿が、夏の開放感を感じさせます。

「THE IPANEMA SET」(CLUB BRASIL 2004年 洋盤)

サンバやボサノバなどのブラジルサウンド満載の好盤です。


実はそれだけではありません。

ジャケットの右側背景のビルの上の雲に注目です。

カーニバルなどで見かける、髪飾りを付けたインディオの神様の姿が現れているではありませんか?

偶然か作為か、気のせいか、判断はお任せします。

何はともあれ、何か良いことの表れと思う、ポジティブな私です。






【キロ不思議博物館】

私の手元に集まった印象に残る絵画、ポスター、造形物などを紹介するコーナーです。

まずはロンドンとコンスタンチノープルを結ぶオリエント急行列車の案内ポスター。

古き良き時代のノスタルジーを感じるポスターです。

















今回は渋澤龍彦「東西不思議物語」の単行本(毎日新聞社、昭和52年刊、絶版)の紹介です。本の内容ではなく、本のカバーと本文のイラストに注目です。藤本蒼猪(後に不二本蒼生に改名)の作なのですが、本当に不思議な魅力があります。高橋克彦氏も「日本で唯一の怪物絵師」と絶賛しています。
興味のある方は、文庫版(河出文庫)を御覧ください。もちろん本文も面白いこと請け合いです。
なお「不二本蒼生楽喜美術館」(ふじもとあおい、らっきーびじゅつかん)というホームページで彼の全貌が分かります。特に猫がお好きのようです。







横浜の観光名所「象の鼻パーク」

「象の鼻とは」
横浜港の開港にあたり2本の突堤が造られました。荷物を降ろす際に波の影響を避けるため、東側の突堤を弓なりに延長しました。この形から「象の鼻」と呼ばれるようになり、その防波堤で囲まれる水域に面した一帯を「象の鼻地区」と呼びます。(港湾局パンフレットより)


今回紹介するのは、以前紹介した「FEN ON JAPAN」の著者が、あの長寿番組「タモリ倶楽部」で「夜の英会話」と題するコーナーを受け持った際の、番組内容を本にしたものです。すでに絶版になっていて古本屋でしか入手できないと思いますが、非常にユニークでためになる本なので、気になる内容をほんの少し披露して紹介します。

「夜の英会話」窪田ひろ子著(テレビ朝日、昭和62年初版刊)

キャッチフレーズは、

酒でも飲みながら、ジョークでも飛ばしながら‥
軽い気持ちのほうが脳細胞に焼きつく、お洒落なフレーズが満載

まさにその通りの内容で、日米の文化、生活感覚、恋愛、口説き文句の違いを平易に楽しく説明しています。

その中から今日からでも早速使える情報、「日本式の発音では通じない言葉」を紹介しましょう。(赤字は、アクセント部分)

alcohol (日本式)アルコール (英語式)エァルカホー
beautiful (日)ビューティフル (英)ビューダフォー
cake (日)ケーキ (英)ケイ
doctor (日)ドクター (英)クター
Honolulu (日)ホノルル (英)ハナルール
Los Angeles (日)ロサンゼルス (英)ロンジェオス
salada (日)サラダ (英)セァラッド
Sandwich (日)サンドウィッチ (英)サンウィッチ

pick it up (日)ピックイットアップ (英)ピケラ
not yet (日)ノットイェット (英)ナッチェ
not at all (日)ノットアットオール (英)ナラオー
Wait a minute (日)ウェイトアミニット (英)ウェイラメネ

素直に外人の真似をするのが英会話上達の早道だそうです。それにしても発音の違い、こんなにもあるんですね。或いはこれがコーナー「空耳アワー」の原点かもしれません。きっとそうです。








横浜の観光名所「氷川丸」

1930年の客船就航当時の客室や社交室などを忠実に再現した内部は、さながらタイムスリップしたようで時の流れを忘れてしまいます。誰が行ってもそれぞれの楽しみ方や発見ができる船内、順路に従って小一時間の見学は絶対損はないと思います。皆様もいかがですか。

開館時間 10:00〜17:00

休館日 月曜日、臨時休館日

入場料 一般 200円


今回書棚から取り出して紹介する本は、今やどこにも見当たらない貴重な事典です。
この事典を古本屋で買うきっかけになったのは、ある飲み屋で知り合った年配の人との会話でした。
趣味の話しになって、その人の趣味は仕事や本来の趣味に関係のない様々なジャンルの事典・辞典を収集することだと言うのです。
それは面白いと感心しつつ、後日古本屋を当てもなく散策中に、棚の片隅に埋もれていたこの事典に出会い、早速購入したわけです。
江戸時代の艶物に関する事典で、当時の風俗や言葉の解説がなされています。とても公表できないような卑猥な説明もありますが、落語の艶話などで使われる言葉の意味を知るのには打ってつけの事典です。

「江戸秘語事典」(中野栄三、雄山閣、昭和36年刊)

その中からある言葉の解説を原文のまま紹介しましょう。

【惚れる】HORERU
花柳情事語でよく用いられる俗称だが、これに「気惚」「見惚」「底惚」「岡惚」などがある。
「気惚」は相手の親切とか、やさしさとか、頭がよく男らしく気立てがよいなど気心に惚れるもので、若い純真な初心者のする恋だとされている。
「見惚」は或いは「身惚」とも云い、相手の男っぷりとか容姿服装、動作等に惚れることで、これはやや現実的、物質的な生活を心情とする、年長者がする恋だとされている。
「底惚」は相手に対して最早無条件に惚れ、その相手以外には他に男はないといった惚れ方のもの、妓などには「床惚」からこれに至るものもあり、俗に「べた惚」と云うのは相手の数に対して云い、質的なものでない場合が多い。べたとは悉皆の意である。
「岡惚」は相手には既に他の愛人があるのに「横恋慕」するもの、或は他人の情事を聞いて、ひそから自分も惚れるといった場合である。岡は岡目八目などの岡と同様、外側の意である。
   己惚をやめれば他に惚れ手なし
など滑稽な句もある。
   間男は最初亭主が惚れるなり
   相惚は額に格子の跡がつき(格子見世)
   黒焼にせずと小判は惚れるなり

いかがですか、これだけ事細かな言葉の解説がなされているのには驚きです。また江戸庶民の言葉の深さと多様さを知らされたという点でも、本当に貴重な事典だと思います。

こうした脳の滋養に絶大な効果のある事典収集の趣味、あなたも始めてみませんか。


以前紹介した「FEN ON JAPAN」の中から英文和訳の宿題です。宿題なんて懐かしいですよね(笑)

【KAMAKURA DAIBUTSU】

Kamakura, the ancient capital of Japan, has many interesting spots.. About one mile southwest of Kamakura Station, the Great Buddha sits in Kotokuin temple. The bronze image of the Amida Buddha was originally enclosed in a large hall. The hall was destroyed by a storm and tidal waves. Since then, the Great Buddha has been sitting in the open air.
The height of the image is almost 40 feet and the length of the Buddha's face is 7.6 feet. It weighs about 93 tons. You can climb a staircase inside the image as high as the shoulders. It is said that the image was created by a famous bronze caster in the 13th century.
With half-closed eyes and a passionless calm expression, the bronze figure of Amida still sits in the city today. Daibutsu, or the Great Buddha, is one of the most popular sights in Kamakura.

the Buddha…仏・仏陀 an image…像 a staircase…階段 a caster…鋳造師 half-closed eyes…半眼

写真は江ノ電の駅構内にあるグッズショップで買い求めた、「大仏さん」のクリスタルの置物です。確か315円だったと思います。10pに満たない小さなものですが、精巧に出来ていて、見ていると瞑想の世界に入れそうです?


書棚から「にっぽん小咄大全」(昭和43年発行)という本を取り出し、その中から最高にシュールな話を紹介しましょう。まずは読んでみてください。

ある長屋にひとり住みの男、頭のてっぺんに大きな桜の木が生え、三月ともなれば花見の人々弁当をさげ、三味線声色で大騒ぎ、毎日毎日群がり来れば、家主かの男を呼び、
「サテサテ貴様のあたまはラチもない頭だ。あのように賑やかでは近所めいわく、いっそ桜の木を抜いてしまわれよ」と言う。
「わたしもそう思いますが、抜きようがございません」と言えば、家主、頭へ足をかけて金剛力に引きぬき、あとへスポッと大きな池ができる。
はや五月末になれば、池の中へ屋根舟など涼みに来て、花火猿回しなどで賑わうを見て、家主また男を呼び、
「サテサテ世話のやける人かな。もうこの長屋には置かれない」
「この長屋を追い立てられては、行き所がございません。いっそ身を投げたいが、池はあたまの上、どうも身の投げようがござりませぬ」と言えば、家主、
「それほど思うなら、身の投げようがある」
「それはどういたします」
「ハテきせるの袋を縫うように、頭からクルリとひっくり返せばよい」

どうですか、なかなかシュールな話だと思いませんか。1781年の作だというから驚きです。確かこの話を題材に最近アニメが作られ、外国の映画祭で受賞したように記憶しています。

挿絵には左の人物の頭に木が生えて見えます。

実はこのモチーフに似た話が遠くはなれたドイツでも作られたというから更に驚きです。「ほらふき男爵の冒険」(1785年)の中にあります。こんな話です、

男爵が狩猟に行った帰りに大鹿に出会い、鉄砲玉を使いはたしてないので、桜んぼのタネをこめてうったら、頭に命中したが、鹿は逃げてしまった。一年か二年後、男爵は森の中で頭に桜の木の生えた大鹿をみごとにしとめたが、その桜んぼのうまかったこと。

同時に同じ発想が生まれる不思議さ、いかがですか。でも話の内容では日本の方が優れていると思いませんか。


お気に入りのLPレコード・ジャケットは

「A DRUM IS A WOMAN 」 DUKE ELLINGTON AND HIS ORCHESTRA

デューク・エリントンはジャズ・ビッグバンドのリーダー、作曲家、ピアニストで20世紀を代表するジャズマンです。数多くのスタンダード・ナンバーを作曲していて、特に有名なのは「A列車で行こう」です。

このアルバムはジャズの誕生と成長を、ドラムのリズムにたとえ、組曲として表現したユニークなもので、聴き応えがあります。





和洋折衷のキロ・ヤスキ、今回は書斎の書棚からこんな本を取り出して紹介します。
「FEN ON JAPAN」窪田ひろ子著(講談社1974年刊)
元FENアナウンサーが、アメリカ人に日本の名所旧跡を、文化の説明を交えて紹介した番組を、ペーパーバックにまとめてものです。紹介は全国にまたがり、観光ガイドにも打って付けであると同時に、英語の学習にも大変役立つものです。
その本の中から、我が町、横浜の文を紹介します。勇気を出して読んでみませんか?

【YOKOHAMA】

In the Meiji period, Yokohama was just a little fishing village with a population of only 350. Today, it is Japan's largest and most important seaport. Around Yokohama Harbor you'll find Yamashita Park, Marine Tower, and a moored-ship museum called Hikawamaru. Yamashita Park is on the waterfront and is a good place to get a beautiful view of the harbor. At the center of the park is a statue called the Guardian of Water. It was a gift from Yokohama's sister city, San Diego.
There aren'nt many international cemeteries in Japan, but Yokohama has one. It has tombstones ranging from those of young cabin boys and ship captains to those of businessmen and ambassador. By reading the inscriptions on the tombstones, which date back to the early days of foreigners in Japan, you can trace the history of the association of Japan with foreign countories. Yokohama is also important because it was there that Commodore Perry signed the Japan-U.S. Treaty in 1854. Yokohama also had the first brewery and butcher shops in Japan. The first japanese-English dictionary in Japan was published in Yokohama. The first English-language weekly newspaper and the first japanese daily paper appeared in Yokohama. Japanese silk was first sold to foreign countries in Yokohama.
From Harbor-View Hill Park, near the foreign cemetery, you can look down over the harbor with its incoming and outgoing ships. The night-time view from this spot is wonderful.

Meiji period…明治時代。foreign cemetery…外人墓地。
Commodore Perry…ペリー提督。Harbor-View Hill Park…港の見える丘公園。

久々に英文に触れたという人でも、案外とすらすら読めたと思います。そして少し脳の血のめぐりも良くなったと思いますが、いかがでしたか?

そしてしっかりビールの話(brewery)もされていて、お酒に親しむ私として嬉しいです(笑)

神奈川県については他に、鎌倉などの文もあるのでいずれ紹介します。


  

横浜の観光名所

家に伝わる歌川広重作「東海道五十三次」の復刻版の「神奈川宿台之景」と、同じ場所の現在の写真を並べてみました。周りにはビルが建ち並び様子は一変しましたが、坂のたたずまいは変わらないように思えます。いかがですか?大きな船が描かれているあたりが、今の横浜駅になるそうです。昔は一帯が海だったんですね。
うちから高島台を超えて横浜駅方面へ向えば、ちょっとした歴史散歩ができます。レリーフも設置されていて為になりますよ。



今回は、私が小学6年生の時(昭和42年)に卒業文集の為に、病床で書いた大病についての一文を、そのままで紹介したいと思います。最後までお付き合い頂ければありがたいです。

「僕の左足」 6年1組 森重泰樹

八月三十日午前九時半、父と母と一緒にタクシーに乗って、横浜市民病院へ行った。左足は、ぼうのようにはれあがっている。五分間ぐらいたつと病院に着いた。病院の中は、かんじゃさん達でこんでおり、十一時半まで、しんさつをまたされてしまった。レントゲン写真をとり血液をとり、せいみつ検査をした。お医者さん達の話しは、よくわからなかったが、ぼくには、このはれあがっている所が、骨肉しゅであるということが、うすうすわかっていた。命をたすけるためには、左足を切断しなければいけないことも………。
そこですぐに入院した。悪い足には放しゃ線をかけ、点てきちゅうしゃを手にやり、いろいろなことをやった。手術の日は九月七日ときまった。手術の日、ぼくは、なんとなく心細くなり、父母達に早くきてもらった。はなからくだを入れ、手術室に運ばれた。それからますいをかけられ、あとの記おくはないが、気がついた時は、もう左足はなくなっていた。今は歩く訓れんをしているが、時々ない足が、かゆくなったり、いたんだりする。きっと、まぼろしとなって、ぼくの心にまだすみついているのだろう。終わり

その後過酷なリハビリと、義肢の進歩のお陰で歩行に支障を来たすこともなく、普通に暮らしています。そして当初は抱いていた障害へのコンプレックスも、年を経ると共に克服できたようです。

ところでここには書かれていないのですが、入院当夜に怪現象がありました。夜に病院内の全ての人達が寝静まったころ、緊張のあまり便意をもよおし、母親に付き添ってもらいトイレの個室へ行きました。その時は何も異常のない個室です。ドアを開放したまま、結局ただただ緊張するばかりで用をたすこともなく個室を出たところ、突然の異常に唖然。パジャマのあちらこちらに誰とも分からない便が付着して、看護師は慌ててすっ飛んで来るは、パジャマを着替えるはで、それはそれは大騒ぎになってしまいました。
この出来事は後々「あの時にウン(運)が付いたお陰で、手術も無事済み、99%あるだろうと言われていたガンの転移もなく、生き長らえたんだと」家族の中で伝えられています。

不思議な出来事は、トイレの神様のしわざだったのかもしれません?


「ゲゲゲの鬼太郎」の生みの親、水木しげるの興味深いインタビュー記事を紹介します。

雲南と私(朝日新聞2006年5月23日掲載)

「妖怪研究」のためにアジアなど世界中を旅してきた。80回近い妖怪行脚の中でも「何とも言えぬ心地よさ」を感じたのが中国・雲南地方だった。
96年秋、雲南各地を2週間旅した。山あいに少数民族の村が点在していた。赤い民族衣装をまとった村人たちとは、すぐ仲良くなった。祝い事にしか出さないヤギの丸焼きを振舞って歓待してくれた。
村には高齢の「シャーマン(呪術師)」がいた。会ってみると「気づいていないようだが、とても良い『憑きもの』がついていますよ」と告げられた。
思い当たることがあった。戦時中、兵士として激戦地ラバウル付近のジャングルにいた。ある日、美しいオウムを見つけ、隊から離れた場所で長時間見入ってしまった。その間に隊は敵の襲撃を受け全滅、その後もすんでのところで命拾いを繰り返し、左腕を失ったが生還した。
「子供の頃からピンチの時、こっちいけ、そっちいくな、と引っ張ってくれる何かを感じる、見えないけど」
雲南の人々にとって、その「何か」はごく普通に存在していた。修行を積んだシャーマンは姿を見ることができる。村人はそれが原因で起きる体や心の不具合の助言を受けていた。
「憑きものたちは、何万もいるそうだ。時には1人の人間に2,3体もいて悪さをしたりして、シャーマンも大変らしい」
電気もガスもなく、土間でトウモロコシを煮炊きする貧しい生活ぶりに見えたが、憑きものと人間が共存する雲南には「ゆったりとした時間が流れる奇妙な落ち着き」があった。
「憑きものは、人の幸不幸に関係しているらしい。まじめに研究した方がいいと思うなあ」 完

私の占いの世界とはジャンルは違うものの、非常に考えさせられる記事でした。これからは「憑きもの」についても探求して、人の幸福に役立てられものがあれば、実践したいと思います。
なお写真は、古来の花札のそれぞれの絵に似合った妖怪を水木しげるがデザインした、「妖怪花あそび」というカードゲームの一部です。「ゲゲゲの鬼太郎」でもお馴染みのキャラクターがいて、楽しい一品です。



先日久しぶりに鎌倉を散策した折に、小町通りの古書店「木犀堂」で偶然手に入れた子供向けの本です。「かまくら・むかしばなし」(沢寿郎著、かまくら春秋社刊)、昭和50年初版とあるので32年前の本ですが、鎌倉にまつわる昔話などが沢山載っています。
どの話も笑わされたり、感心させられたり、その上絵本のような挿絵が楽しく、本当に掘り出し物の一品でした。
ここでどんな内容なのか知って貰うために、その中のお話の一つを紹介しましょう。
今ちまたでは「かっぱ」が静かなブームらしいので、「鎌倉のかっぱ」というお話です。

むかし間門川という小川にかっぱがいて、ある時岸を通っていた馬を川へ引きずり込んだところを、村人たちにつかまり打殺されようとしていたのを、同じ村の五郎左衛門という人が、命乞いをして助けてやりました。

その晩、かっぱが鱸(すずき)二尾と古ぼけた徳利を持って、彼の所へお礼に来て云いました。
「今日はおかげさまで危ない命を拾いました。そのお礼にこの徳利を差し上げます。これには酒が入っていますが、呑む時に少し残しておけば、またすぐ元通りにふえて来て、いつまでも絶えることはありません。」

たしかにかっぱの云った通り、その徳利の酒はいつでも一杯になっていましたが、ある時客に来た人が、知らずに徳利をすっかりからにしてしまったので、それからはもう一滴も出なくなってしまいました。

う〜ん、酒をたしなむ私には、色々考えさせられる話です。
鎌倉の何処の川に、いまだにかっぱが生き長らえていたならば、ぜひ彼の悩みを聞いてあげて、お助けしたいと思います。お礼はもちろん古ぼけた徳利でお願いします(笑)



あるテーマを決めて、うちの書棚にある本を紹介して、それを元に話題を広げていく企画第二弾です。テーマは第一弾に引き続き「横浜」です。紹介する本は、「高島易断を創った男」持田鋼一郎著(新潮新書、680円税別)。
これは明治初期に実業家、そして易占家として活躍した高島嘉右衛門(かえもん)の一生を描いた伝記です。なぜこの本を取り上げたかというと、実は私が現在鑑定を行っている実家のある上反町(かみたんまち)の隣町が、彼が晩年まで住み易の鑑定を行っていた高島台町で、以前から何か強い因縁を感じていたからです。
高島台町は彼の名前がそのまま町の名前となり、彼にまつわる史跡も残されています。彼の名前を付けた嘉右衛門公園は彼の住居跡にあり、そこには彼の業績を記したレリーフが置かれています。ここでその全文を紹介します。

「嘉右衛門は、天保三年(1832)、江戸に材木商の子として生まれ、開港後の横浜で成功を収めた。
明治三年、政府は新橋・横浜間(現在の汐留、桜木町間)の鉄道建設を計画する。現在の横浜駅から桜木町にかけての一帯は当時海で、鉄道を通すため、青木町から野毛にかけて、全長千四百b、幅七十六bの築堤を造らなければならなかった。嘉右衛門がこの難工事を請け負い高島台から数千人の人々に指示を出して、政府との約束の期間内に見事に工事を成功させた。埋め立てられた場所は現在の西区高島一・二丁目で、高島台とともに名前が町名として残っている。
右の写真は、明治初めの風景である。手前にある家並みは、旧街道の宿場で、その向こうに文明開化を象徴する鉄道の線路が延びている。
埋め立てのほかにも、ガス会社や学校の設立、易学の普及など嘉右衛門は幅広い分野で数多くの功績を残した。」

 




先日横浜元町の中古CD・レコードショップのバナナ・レコード店で、貴重なアストラッド・ジルベルトのアナログLPレコードを廉価(1100円)で手に入れることができました。
彼女は、1940年ブラジルのサルバドールの生まれで、名曲「イパネマの娘」をレコーディングして一躍人気歌手になり、以降活躍してボサノバの女王と呼ばれた女性です。
その歌声とボサノバのリズムにはかなり癒されます。CDではベスト・アルバムなどもあるので、ぜひ機会があったら聴いてみてください。ドライブのBGMにも最適です。
ちなみにレコードのタイトルは
「the essential ASTRUD GILBERTO」
ジャケットのジェット機を背景にしたモノクロの彼女の写真が気に入ってます。




横浜の観光名所「弁天橋」

私のお気に入りの夜景です。横浜の桜木町の弁天橋の上から見た、みなとみらい&大観覧車です。大観覧車は刻々と色を変えて、その光が川の水面や高層ビルに反射して綺麗に見ます。私はみなとみらい線に乗って馬車道駅で降り、近くの野毛飲食店街へ向うのをコースにしていますが、その途中に弁天橋があります。
撮影テクニックについては全くの素人なのですが、こんなに綺麗に撮れたのは、きっと素材が良かったからでしょう。









家にあるお気に入りの骨董品の紹介です。40年前に父が貰い受け、今は私が愛用する札入れです。日本製で合皮ではありますが実に精巧にできていて、何よりも細かい所まで再現された古代エジプトのレリーフと象形文字が表面にプリントされていて、実に味わいがあります。
そしてこの札入れが、あることで益々関心を呼ぶことになりました。日頃は全く興味を抱くことのない食玩(フィギュアの付いたお菓子)であったのに、「大英博物館、古代エジプト至宝シリーズ」という題名が、なぜか気になって一個買ったところ、箱の中から出てきたのが写真の「猫のミイラ」のミニチュアで、それがなんと、この札入れの右上に描かれている猫の像と瓜二つだったのです。これには驚かされました。その時私は、古代エジプトがタロット占いや数占術に深い関係があると信じているからこそ、引き合わせてくれたんだと勝手に思ったわけです。そもそもこの札入れが私の手元にあるのも何かの縁なんでしょう。
文献を調べたところ、この猫のミイラは、猫で表される女神バステトを祭るためのものでした。バステト神は陽気で善意にあふれた女神で、全ての人に幸運と音楽、ダンスと喜びを与えたということです。日本で言えば招き猫のようなもですかね?ある説によると世界中の野良猫を含めた家猫の祖先は、古代エジプトの猫だそうです。どことなくこの猫のミイラの顔付が、招き猫の顔付と似ているように見えるのはそのせいでしょうか。







今回は私が非常に感銘を受けた、あるインタビュー記事を全文紹介します。内容は難解かもしれませんが、必ずためになると思います。その記事は1991年発行の雑誌「サライ」17号、中村元(なかむら・はじめ)へのインタビュー。彼は日本の仏教学、インド哲学の最高権威。東京大学名誉教授。享年88歳(1999年)。
ー庭のお花がきれいですね。
「ありがとうございます。親戚のものが来て言うんですよ。“ここのお庭の花は咲き乱れている”ってね。“咲いている”んではなくて、“乱れている”んだそうです(笑)。春の桜、初夏のアジサイ、確かに咲き乱れて、しかも塀がございませんから、道路まで花がこぼれております。けれども道を通る人が“お花がきれいですね”と言ってくださるものですから、この花もどこかでお役に立っているのかなと思っているんです」
ーところで、先生は7か国語に御堪能だそうですが、ものごとをお考えになる時の言葉は何語ですか。
「こうやってお話しするのは当然、日本語ですが、外国語の文献をあたっている時は、その言葉で考えることが多いですね。資料の整理は英語、ものによってはサンスクリット語です。日本語も結構ですけど、例えばRとLの区別がないでしょう。ですからABCのほうが、複雑なものは整理しやすいんです」
ーその言語によって、思考形態も違ってくるのですか。
「はい、違います。とくに私が感じますのは、西洋の言語は概して自我の意識、または自己と他者の区別が強いこと。“私”、“あなた”をつねにはっきり区別します。ところが日本語はそうではない。必要な時は“私”がこうだとか“あなた”がこうだとか言いますが、普通は“(私は)こう思います”、“(あなたは)大丈夫ですか”といった言い方です。共通の感覚を前提にしていますので、主語を立てない、自己と他者を区別しない。融合感と言ったらいいでしょうか」
ー“曖昧”より、いい言葉ですね。
「ええ。融け合うということですね。それが日本人の表現の仕方の根に、支配しているような気がします。つまり和の精神です。“和を以って貴しと為す”と聖徳太子の十七条憲法の第一条にありますが、これは日本人独特の考え方です。以前、日本と中国の思考方法に関するシンポジウムがありまして、その時、中国の学者のかたから面白いことを言われました。“日本人は、すぐに和ということを持ち出し、仲良くなろうとする。われわれ中国人は、人を見たら敵と思え、と教えられているんですよ”と。中国は古来、侵略を受け続けているわけでしょう。うっかり心を許すことはできないわけです」
ー同じ東洋でも、島国の日本とはずいぶん違いますね。
「中国、朝鮮の家を見ますと、密閉されています。高い塀を作りまして、要害堅固です。外の人は簡単に入れません。けれども、中に住んでいる家族間の協力体制は、非常に強力です。その点、日本では最近の都会は違いますが、田舎の家は開け放しで、どこが入り口かもわからない家が多い。村落共同体の中では融和感が支配しているわけです。開け放してあっても、他人のものを盗ったりする人もまずいないし、傷害事件もめったに起きていない。中国ともインドとも違う、日本独特の村落の中の融和です」
ーそれは、日本人の本質をついているものですか。
「そう思います。そういう日本人が選び取ったのが、和の宗教である仏教だったんですね。案外知られていない事実ですが、平安時代の約350年間、日本には死刑が一度もなかったんです。これは人類の歴史の中で非常に稀有な、大変なことです。大罪を犯した者でも“罪一等を減ずる”で、島流しです。それから戦争があったのは事実ですが、それも支配階級に限られていて、民族闘争というのはありませんね。こうした日本人の基本の心に、仏教がぴったり合ったんですね」
ー仏教のどんなところが、日本人の“和”と合ったのでしょうか。
「仏教の精神とは、わかりやすく言えば、慈悲の心です。人々に対して慈しむ、憐れむ、協力する、同情する、と言うようなことです。仏教ではこの慈悲をとくに強調しますが、これが神道でも説かれている。それも、仏教伝来以前の古い神道にはないのですが、中世以降、神道でも盛んに慈悲正直ということを説くんです。慈悲とか正直という徳を日本人が歓迎している、という証左でしょうね。日本では、戦争が終わったあと、敵味方の区別なく、亡くなった人の霊を弔い、供養しますね。怨親平等といって、戦っている間は敵だが、戦いがすめば、みんな同じに冥福を祈りましょう、という考え方です。これはよその国にはないと思いますね。少なくとも西洋や西アジアにはありません」 
ー西洋では宗教が違うだけで、異端、悪魔という厳しさですよね。
「例外はありましょうけど、日本人の間には、強い憎悪の念は支配しなかった。それも日本人の間だけに限ったことではなく、鎌倉中期に元が攻めてきた、あの元寇の時にも、日本軍と元軍と両方の戦死者を弔っています。それから島原の乱、あの時も後に敵味方、両方の霊を弔っている。この島原の乱も厳密に言うと、宗教戦争ではなかった。反乱の中心はキリシタンの人々ですが、実はキリシタンではない農民も加わっていて、封建領主に対する反抗だったのです。ですから、日本には西洋でいうような、厳密な意味での宗教戦争はなかったということになります。怨親平等で慰霊する、その基本は慈悲の心です」
ー「お慈悲」という言葉には、私たちも子供の頃からなじんでいます。
「慈というのは、慈しみということであり、悲とは憐れみです。それぞれ、原義はサンスクリット語にありますが、日本語でいう“思いやり”というのが、その慈悲に一番近い言葉じゃないでしょうか。もちろん、慈悲という言葉は、仏教のごく初期からある言葉です。それが大乗仏教になって、よけい強調されたように思います。逆に言えば、大乗仏教になってから、仏教が普遍的な宗教となって日本へも伝えられ、広まったのですね」
ー「大乗仏教」を、簡単に説明していただくと?
「出家・在家を問わず、すべての人を救う広大な教えのことです。民族や国が違うからといって区別しないのが大乗仏教の教えです。民族や国の差を超越するということですね。日本へ仏教を伝えた重要な人の一人に鑑真和上がいますね。あの方の建てたお寺が唐招提寺です。唐から渡来したから唐がつくのですが、元はといいますと、これはパーリ語の“チャートゥディサ”の音を写したものです。チャートゥディサとは“四方の人”という意味です。つまり出家した仏者は、国だとか民族だとか、もうなにものにもとらわれない。だからどこへでも出かけて行き、四方を以って我が家となす。それを理想としたわけです」
ーその仏教が今、ブームといわれて、般若心経などがよく読まれているようですが。
「物質文明がいきつくところまでいきついて、人々が新たな心の支えを求めようとしているからではないでしょうか。数学や物理学など科学などの発達は、人間が生きて悩んで欲する、その心の問題を解くところまではいかないでしょう。それはやはり哲学の問題であり、その哲学が、より多くの人に共通なものになると、宗教になるのではないでしょうか。哲学と宗教とは、そんなに厳密に区別されるものではないと思いますよ。いかに自然科学が発達しても、人間が人間としてどう生きるかということは、自分自身で考えざるを得ない事柄なんですね。そしてこれは、どんな時代にも消えることのない問題です。その問題に向き合う時、哲学や宗教が大きくかかわってくるのではないでしょうか。一方で、今は世界がひとつにならなければいけない、互いに対立していてはいけないと、世界中の人々が考えるようになっています。四海同胞みな一体、となるものを目指すという方向に向かっていますね」
ーその時、宗教の違いは、容易な問題とは思えないのですが。
「これは仏教者もヒンドゥの哲学者も、あるいは西洋の哲学者も説いていることですが、“絶対のもの”というのは言葉では表現できないもの、言葉や思考を超えたものです。それを仏典では“宗”と呼んでいます。しかし、その言葉にならないものを、なんとか自分なりにとらえて理解して、人に伝えようとする。そうやって言葉で説いたものが“教”そうして“宗教”ができたんです。また、“絶対のもの”のとらえ方は人それぞれ違いますね。そこで“宗教”の違いが出てきたわけです。ですから、この考えをもって進めば、諸宗教が争うこともなくなりますし、他の宗教に対する理解も、おのずから出てくるはずなんです」
ー西洋の宗教にも、共通する考え方があるのでしょうか。
「西洋にも、神は言葉では言い表わされないという考えがあります。14世紀初期のドイツに、エックハルトという神秘家がおりますが、彼は『“絶対のもの”は神秘であり、言葉では言い表わされない』と言っています。そうなりますと、個々の宗教の観念を超えてしまうわけですね。エックハルトの説いた神はデウス(キリスト教における“神”)ですが、そのデウスの奥に、デイタスがあると、彼は言うんです。デイタス、神性とでも言いますかね。それが“絶対のもの”だと。同じ考えはまた仏教にもありまして、仏教の奥に、言葉では表現できない絶対の仏様があると。それを仏性とか法身と言います。この、言葉では言い表わせないものを、人々に説くために姿を現したのが、仏様である、と言うのです。イスラムのスーフィー(イスラム教の神秘主義運動)の哲学者は、インドのベーダーンタ哲学とよく似ているんですが、やはり、神は言葉では言い表わせないと言っています。ことほど左様に、宗教は違えど、つきつめた本質は共通なわけです。こうした理解を人々がもてば、宗教上の争いはなくなり、相互理解が深まるはずなんですがね」
ーそういえば、先生は、観音様とマリア像がそっくりだと指摘していらっしゃいますね。
「ええ、よく似ています。マリア様の像というのはあちこちにありますが、ことにドイツのケルンを中心にしてあるマリア像というのは、本当に優しい、愛くるしい顔ですねえ。東西異なっても、時代が移り変わっても、純粋な愛を求めると、芸術作品の表情まで似てくるんじゃないですかね。マリア様も観音様も、人間がつくるものですね。そこには、人間の理想が込められるでしょうし、また、それを日々拝んでいると、拝んでいる人の心にもいつしか似た影響を及ぼしますでしょうね」
ー一方では、仏教を意識するのはお葬式の時ぐらい、という人も多いと思いますが。
「もともと仏教は、お葬式をしなかったんですよ。日本でお葬式をするようになったのも、日本人の慈悲の心からです。ことに平安時代、飢餓があって、飢え死にする人が多かったんですね。そういう人を捨てておけないというので、お坊さんが丁寧に弔ったというのが始まりです。徳川時代になると、キリシタン禁制と結びついて、日本人はみなどこかのお寺の檀家になれ、と命令されますね。そこで宗教というより、むしろ政治の問題になったのです」
ー意外な話ですね。
「仏教では、お葬式そのものを問題にしてこなかったんです。お葬式というのは、亡くなった人に対する追憶の念の表現ですね。それが盛んになったのは、ゆとりのある人が儀式を盛んにするようになり、そこに競争が起こってからのことだと思います。それで今、さまざまに非難されているのですね」
ーところで、私たち日本人は、慈悲の心を取り戻せますでしょうか。
「今、地球上のどこかで何かが起きると、世界全体に響くようになりましたね。こんな時こそ、仏教の、人を傷つけないようにという教えが重んぜられると思いますね。環境問題もそうです。ことに今、ドイツあたりでは環境や平和問題を盛んに説く人が、仏教と結びついているんです。生き物を殺さぬように、というのもそうです。そもそも、西洋の古い時代にはベジタリアンはいません。キリスト教からは出てこないわけです。生き物を殺すな、慈しめ、というのは東アジアの思想です。その思想に今、西洋でも学ぶ人が多くなっている。洋の東西を問わず、人間に潜んでいる普遍的なもの、それが今、こうした思想を手がかりに呼び起こされているのではないでしょうか」
ーしかし“自己”のとらえ方は東と西、違いませんか?
「西洋では古く遡れば、アウグスティヌス、そしてデカルトに至るコギト=エルゴ=スムの論理、“我、感のゆえに我あり”ですね。“我、思う、ゆえに我あり”でもいいのですが、“我”そのものを、認識の確実な根拠としています。また、ここでいう“我”とは他の個人から隔絶された“自己”です。少なくともデカルトの場合。ところが日本人の場合には、他から隔絶された自己という意識は、非常に弱かったように思います」
ー隔絶より融合ですね。
「そうです。西洋の学者が、常に自己の存在を求めてきているのに対して、日本ではそうした形式的なことを好まないで、日常のさりげなさの中で“生かされている自分”“生きている自分”を見いだしています。西行の歌に《年たけて 又こゆべしと思ひきや いのちなりけり さ夜の中山》というのがございますが、ここでいう“いのち”が、まさに生かされている自分なんですね。《命なり わづかの笠の下涼み》と詠んだのは、芭蕉ですが、この“命”も同様だと思います」
ーでは、仏教の中に、“自己”を考える手がかりはありますか。
「仏教では、自己とは孤立したものではなく、他と緊密な連関を持って生きているという思想です。これは華厳の思想が、一番はっきり表わしています。いかなるものも孤立していず、お互いに入り組んで、人は生きているという考え方です。しかし西洋にもやはり同じような考えがありまして、15世紀のドイツの思想家、ニコラウス・クザーヌスは、人間はめいめいが小宇宙である、と言っています。しかも、その小宇宙の中に大宇宙を含んでいる、というのです。これは華厳の思想に通ずるものです。また天台宗の摩訶止観の中には、“一色一香も中道にあらざるはなし”という言葉があります。意味は“ここにひとつの花が咲いている。その色が見え、香りが感じられる。この小さな花の色と香りが、宇宙の真理を具現している”というんです。非常に小さなものでも、大宇宙を示しているというんでしょうか。つまりひとつの花が咲くのでも、突然現れたわけではなく、そこには核となるものがあり、無数の条件、原因があるというのです」
ーましてひとりの人間が生きるのですから。
「無限の核とつながっています。ひとりひとりの中に、偉大な過去が生きており、大宇宙が、小さなひとりの人間の中に生きているのです。世の中には、おれは自分だけの力で成功したんだ、と言う人がいますね。でも、そうはいえないわけです」
ーほかに先生のお好きな言葉は?
「唐の時代の禅僧に、盤山宝積(ばんざんほうしゃく)という人がいます。その人が『向上の一路は仙聖も伝えず、学者これを求むるも、猿の影を捉うるが如し』と言っている。人生の正しい道というものは、めいめいがひたすら努めて、自ら、捉えるものであって、聖人といえども教えてはくれない。学者、つまり学ぶ人は、それを求めるけれど、それはサルが水に浮かんだ月を取ろうとするようなものだ、というのです。人それぞれ、苦難にぶつかっていきながら、自分の道をきわめなさいということです。そこに自己の発見もあると」
ー唐の時代の教えが、今でも通じるのですね
「それは、人間の本性に迫っているからです。人間の置かれている状況は、常に動いていますが、本性は変わらないでしょう。ですから、歳月を超えて残る、昔の哲人の言葉をかみしめてみるのは意義のあることです」
ーそんな言葉を通して、生き甲斐をさぐれたらいいのですが。
「生き甲斐をさぐることは、ひとつの意志的努力を伴いますね。生き甲斐とは何かということは、人それぞれであり、簡単には言えませんが、ひとつだけ共通項があると思うんです。それは、人々のためになり、自分のためにもなるものです。反社会的なものは、生き甲斐にはなり得ないと思うんです。しかし、またそれは、決して限られた人ばかりのものではないのです。『雑宝蔵経』という仏典は、力のある人だけではなく、力のない人でも、人々のために尽くして、生き甲斐を見いだすことができると説いています。これを『無財の七施』(ななせ)というのですが、財がなくても施しができるというのです」
ー七つの施しですか。
「ひとつは『眼施』(がんせ)。人を憎むことなく、常に好もしい眼差しで他人を見るということです。ふたつ目は『和顔悦色施』(わげんえつじきせ)。つまり和顔愛護(わげんあいご)です。人に対して嫌な顔つきをせず、柔和な顔で接することです。第三は、『言辞施』(げんじせ)。荒々しい言葉ではなく、優しい言葉をかけましょう、ということです」
ーこれなら誰にでも、たとえ病床にあってもできますね。
「はい。さらに、他人に対して身をもって尊敬の態度を示す『身施』(しんせ)。また、善い心をもって他人と和らぎ、善いことをするよう努めることを『心施』(しんせ)といいます。第六は『床座施』(しょうざせ)といい、他人のために、座席を設けて座らせることです。最後の『房舎施』(ぼうしゃせ)は他人を自分の家へ自由に出入りさせ、泊まらせることです。この最後のだけは、現代では実行が難しいですけどね」(笑)
ー先生のお庭の花が、道ゆく人の目を和ませる。それもこの『無財の七施』に通じますね。
「そう言っていただくと、嬉しいですね。ありがとうございます」完 
 ☆花の写真は家に咲いたものを載せました☆


写真の置物は「おたぬきさま」です。。浅草の伝法院鎮護堂の縁起物で、盗難除け、商売繁盛にご利益があります。という訳で盗難除けに絡めて今回の話題は、以前にも紹介した「女性が一人暮らしをする時に、犯罪に巻き込まれないように注意するポイント」(朝日新聞の記事)を、新生活が始まるなど転居が多いこの時期に、被害者にならない備えのために再度確認しましょう。
まず部屋選びでは、駅から近く帰り道が明るいこと。一階は、覗かれやすく、空き巣に入られやすいので避けること。女性向け物件でも、女性だけで住んでいることが分かったり、需要があるからといって悪い環境だったりするので慎重に。一人暮らしが分かったりするので音漏れに注意。あとは鍵を大切に。全てごもっともな意見です。次に暮らし始めてからの注意は、鍵は取り替えてもらう。むやみにドアを開けない。サッシ窓は補助鍵を付ける(100円ショップで売ってます)。カーテンは遮光で無地など地味なものを選ぶ。玄関には男物の靴を置く。表札を出す場合は苗字だけにする。洗濯など長時間バルコニーに立たない。洗濯物は男物を数枚交ぜて干す。帰りが遅いときはコンビニなどには寄らない。買い物は休みの日の日中にまとめてしておく。ポストには鍵をかける。帰りが遅くなったらポストの郵便物は取らずにさっさと自分の部屋に入る。住所や名前などが書かれた物は細かく裂いてから捨てる。歩道を歩くときは、車道から最も離れて歩く。周囲に気を配り、時々後ろを振り返る。護身アイテムを持つ。以上、備えあれば憂いなし、ぜひ参考にしてみてください。


骨董店の時計コーナーで砂時計を手にする美女。写真の構図もブロンドの美女も素敵だと思いませんか?、映画のワンシーンのように見えますが、これもジャズLPレコードのジャケットなんです。私のお気に入りの一品。

「ANY OLD TIME」 RCA Victor (1958)

       ARTIE SHAW AND HIS ORCHESTRA









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